歴史
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天嶽院の歴史は真言宗の古寺「不動院」から始まる。 源頼朝公が治承四年(1180年)、伊豆に兵を挙げ鎌倉を目指す途中立ち寄り、 不動明王様に大願成就の祈願をされたとの伝説がある。
明応四年(1495年)、北条早雲公によって伽藍の一寺が創建され、「不動院」を改め曹洞宗の禅寺とし、虚堂玄白禅師を迎えて開山とした。
天正四年(1576年)四世住職の代に伽藍は焼失するが、玉縄城主北条綱成・氏繁公父子によって伽藍が復興された。 更に紀伊大納言徳川光貞卿の信仰篤く、六世住職の代に七堂伽藍が完成された。 この姿が「相中留恩記略」巻之十八に記載されている。
なお天正十九年(1591年)十一月、家康公から三十石の朱印地を賜った事実がある。 安政二年(1855年)二月二十六日、二十二世住職の代に再び火災にあい、大伽藍はことごとく焼失した。焼失を免れ現存する総門(山門)は江戸中期に水戸光圀公が建立したと伝えられる。
昭和五十一年(1976年)春伽藍復興に着手、二十年余を経て平成十年(1998年)七堂伽藍を室町時代の様式に統一して復興した。
千手千眼観世音菩薩様
虚堂玄白禅師
天嶺呑補禅師
北条早雲公
(戒名 早雲寺殿天嶽宗瑞大居士)
山号を「功徳」、寺号を「早雲」、
法堂号(本堂)を「天嶽」と命名。
玉縄城城主、北条綱成公・氏繁公父子
紀伊大納言、徳川光貞卿
相中留恩記略所載 伽藍全景
平成の伽藍
相中留恩記略所載 朱印状